ブルガリア第二の都市、プロブディフ(Plovdiv)は六千年以上の昔から人が定住していた歴史ある街です。
トルコから陸路でブルガリアへ国境越えしたその日、私たちは運良くプロブディフまで一気に移動することができました。
どこを切り取っても絵になる街、プロブディフの街歩きで見つけた観光見どころを紹介します。
- プロブディフ(Plovdiv)について
- フィリッポポリスのフォーラム(Roman Forum of Philippopolis)
- フィリッポポリス古代競技場(Ancient Stadium of Philipopolis)
- フィリッポポリスの古代劇場(Ancient Theatre of Philippopolis)
- ジュマヤモスク(Djumaya Mosque)
- スヴェタマリーナ教会(Sveta Marina church)
- フィリッポポリス司教大聖堂(Bishop’s Basilica of Philippopolis)
- 聖処女教会(“Sveta Bogoroditsa” Church)
- ラマルタンハウス(Lamartin House)
- 聖コンスタンティン・エレナ教会 (St. Constantine & Helena Church)
- 地域民俗学博物館(Regional Ethnographic Museum Plovdiv)
- ジョージアディハウス(Georgiadi House)
- 初期ビザンチン要塞壁と円形塔(Early Byzantine fortress walls with a circular tower)
- 福音大聖堂教会(Evangelical Cathedral Church/Евангелска съборна църква)
- 聖ネデリア正教会(Saint Nedelya Orthodox Church)
- 時計塔(Clock Tower)
- 歌う噴水(Singing Fountains)
- アリョーシャ記念像(Alyosha Monument)
- プロブディフでの宿泊施設
プロブディフ(Plovdiv)について
プロブディフは、マリツァ川の両岸に広がるプロヴディフ平原の南部に位置してる、プロブディフ州の州都です。首都ソフィアに次いで、ブルガリアで2番目に大きな都市であり、約34万人の人口を抱えています(2018年)。
プロヴディフの歴史は古く、紀元前4千年ごろ、新石器時代の定住跡が確認されています。かつて「フィリッポポリス」と呼ばれたこの街には、ローマ時代の円形競技場や劇場、古代フォーラムなどの遺跡が市内に点在しており、まさに「歩けば遺跡に当たる街」なのです。これらの遺跡では地元イベントが開催されるなど、数千年の時を超えてなお現代も活用されているのは素晴らしい街づくりだと感じました。
フィリッポポリスのフォーラム(Roman Forum of Philippopolis)
プロブディフの旧市街メインストリートに広がるのがフィリッポポリスのフォーラム(アゴラ)です。フィリッポポリスの古代都市遺跡は数カ所に分断された状態で展示されていますが、旅行者や地元の通行人が行き交う街の風景に溶け込んでおり、古代都市と現代都市がうまく融合しているように見えました。
ローマ帝国のトラキア属州で最も重要な都市であるフィリポポリスには、独自の商業、行政、宗教の中心地であるフォーラム (アゴラ) がありました。
紀元1世紀初頭に建築が始まり5世紀にかけて使用されていた古代フォーラム (アゴラ) は、古代都市で最大かつ最も重要な建築複合体でした。フィリポポリスのアゴラには、エントランス柱廊、列柱(アーケード)、図書館、オーデン、財務省、そして用途不明なその他の建物が含まれます。
図書館(Library)
北側の古代フォーラムにあり、オーデイオンの西に位置しています。現在、ブルガリアで見つかっている唯一のローマ時代の図書館です。
大理石敷きの床に、円形の演壇が設置された長方形ホールで、壁には巻物を保管するための龕が形成されていました。古代図書館のイメージはイラスト付きで説明されており、想像しやすいです。
市議会、のちにコンサートホール(Odeon)
フォーラム複合施設の北東の隅には、オーディオンがあります。半円形の劇場座席のようになっているので、すぐにそれとわかるでしょう。ローマ時代には市議会場として機能しました。その後、再建されて、約350人の観客を収容できるコンサート、公演、集会用の劇場としても使用されています。典型的なローマ建築様式で建てられており、エフェソスの劇場にも似ています。
オーディオン周辺では、フィリッポポリスで鋳造されたとみられる銀貨をはじめ、たくさんの古代遺物が発掘されています。
フィリッポポリス古代競技場(Ancient Stadium of Philipopolis)
ハドリアヌス帝の時代、西暦2世紀初頭に建設されました。バルカン半島のローマ帝国時代の建造物としては最大で最も保存状態の良いものの一つです。 長さ約240m、幅50mで、最大3万人の観客を収容できるサイズだったそうです。
ジュマヤモスクやツーリストインフォメーションの近く、メインストリートの下にあります。円形劇場のように配置された14列の座席は、一枚岩の大理石のブロックで作られています。
円形劇場の座席列の下には、アーチ型の通路が発見されました。スタジアムにはオリジナルの排水システムがあったこともわかっています。
競技場と同じ空間にカフェなどが設置されていますが、けっして古代競技場の雰囲気を壊してはいません。この広場ではさまざまなイベントが開催されており、数千年前と変わらず人々が集う場所となっているのは素敵だと思いました。
フィリッポポリスの古代劇場(Ancient Theatre of Philippopolis)
西暦1世紀、ドミティアヌス帝の治世中に建てられた古代劇場は、現在オールドタウンからアクセスできます。三つの丘の間に自然地形を利用した建築設計となっており、小アジアのエーゲ海沿岸のヘレニズム劇場構造と共通点を持ちます。
南北方向の主軸を中心として左右対称に展開される劇場で、開放的な舞台からの放射線状階段で区切られた同心円状に広がる座席は大理石で造られています。古代劇場は5世紀まで使用されていましたが、火災や地震で焼失しました。
残念ながら、私たちが訪問したときには、地元イベントが開催されており、劇場には入場できませんでした。画像はゲート外から撮影したものですが、その規模の大きさは感じられます。
ジュマヤモスク(Djumaya Mosque)
金曜モスク、あるいはジュマヤモスクは、オスマン帝国軍によるプロブディフの征服後の1364年、大聖堂教会の跡地に建てられました。 今見られるモスクは、15世紀に建て替えられたものです。
モスクは街の中心地にあり、グリーンの植物に囲まれた中のピンク色の壁が美しいです。9つのドームと礼拝堂があり、主要ファサードの北東角に1本のミナレットが置かれています。
スヴェタマリーナ教会(Sveta Marina church)
距離的にはローマ劇場に近いのですが、観光客はほとんどゼロという静かな教会です。入口にある木製の塔は1870年に建てられたもので、この教会を特徴的なものにしています。
中は豪華なシャンデリアに照らされた壁画が美しいです。
フィリッポポリス司教大聖堂(Bishop’s Basilica of Philippopolis)
古代都市フィリッポポリスにあった廃墟の教会で、西暦4世紀半ばに建てられました。 バルカン半島で発見されたその時代のキリスト教会として、最大のものの一つです。
聖処女教会(“Sveta Bogoroditsa” Church)
この場所には、もともと9世紀には小さな教会が存在したそうですが、1186年に改修されて修道院となりました。現在見られる建物は、1844年に作られたものです。
大通りの交差点にあるので目立ちます。ピンクと白色のベルタワーが目印です。
ラマルタンハウス(Lamartin House)
1830年築で、商人ゲオルギ・マブリディが所有していました。プロブディフ旧市街で最大の旧家の一つです。フランス詩人のアルフォンス・ド・ラマルティーヌがここに3日間滞在したことで有名です。
聖コンスタンティン・エレナ教会 (St. Constantine & Helena Church)
市内で最も古い教会の一つと考えられており、コンスタンティヌス大帝とその母エレナにちなんで名付けられました。今ある教会建物は1832年に再建されたものです。
他のプロブディフの教会ではあまり見かけないシックな青灰色調の外壁で、コートヤードには植物で装飾されたベンチがあり、思わず腰掛けて休憩したくなります。
地域民俗学博物館(Regional Ethnographic Museum Plovdiv)
美しいカーブを描いた屋根と外壁の植物をモチーフとしたペイント模様が目を引きます。1847年に建てられた、プロブディフの商人、アルギル・クユムジョグルの邸宅を博物館として公開しています。博物館内には6つの展示室があり、工芸品や家具、楽器、美術品や宗教用品などが4万点以上収蔵されています。19世紀半ばのプロブディフバロック建築様式の邸宅は、その後持ち主が代わり、さまざまな用途に用いられましたが、最終的に市が買い取って博物館になりました。
ジョージアディハウス(Georgiadi House)
ブルガリアの商人でフリーズ織りの巨匠のゲオルギ・ケンディンデノグロウによって、1848年に建てられました。当時流行した対称設計の住宅で、下から見上げると覆いかぶさるような迫力があります。1960年に修復されました。
初期ビザンチン要塞壁と円形塔(Early Byzantine fortress walls with a circular tower)
旧市街の端に近い、目立たない場所にひっそりと佇む遺跡です。城壁の厚さは3.2mで、レンガと石を交互に並べて建てられました。丸い断面は監視塔があった場所です。レンガ作りのアーチ屋根通路でつながっていたことがわかります。
福音大聖堂教会(Evangelical Cathedral Church/Евангелска съборна църква)
急勾配のレディストラングフォードストリートにあるプロテスタント教会です。クリミア戦争後、アメリカ人宣教師がブルガリアの地に最初の拠点を建設し始めましたが、この教会は19世紀後半に正式に福音教会へと組織されたものです。現在も、英語によるミサが行われています。
聖ネデリア正教会(Saint Nedelya Orthodox Church)
プロブディフで最も古い教会の1つとみられていますが、現在の姿は1832年に再建されたものです。印象的な鐘楼は1905年に建てられました。
時計塔(Clock Tower)
16世紀末から17世紀初頭には存在していたと考えられています。現在見られる形に建設されたのは1809年でした。1883年には市議会により、ウィーン製の時計が設置されましたが、動かなくなった際に解体され、博物館に回収されました。
街を見下ろす高台にありますが、木々が生い茂っていて、それほど景色がよく見えるわけでもありませんでした。
歌う噴水(Singing Fountains)
毎週3回音楽と光のショーが行われているそうです。メインの噴水エリアは大きく開放感があり
きれいに手入れされていました。噴水周辺の公園もよく整備されており、市民の憩いの場となっています。
アリョーシャ記念像(Alyosha Monument)
プロブディフの南西の丘にある、高さ11mの鉄筋コンクリート製のソ連兵の像です。上まで登ることもできますが、今回は下から撮影するだけにしました。
第二次世界大戦時、ソ連によるブルガリア占領中に発生したソ連の死傷者を追悼するため、1957年に設置されました。この像のモデルとなった第3ウクライナ戦線の兵士、アリョーシャ・スクルラトフは2013年に91歳で他界しています。
プロブディフでの宿泊施設
プロブディフではEast Gate – Guest Roomsに宿泊しました。忙しい旧市街ではなく、少しはずれた場所に位置しているため静かでした。ただし、目の前のロータリーでは発掘作業らしき工事が行われていたので、将来はどうなるかわかりません。窓無しの部屋(50レフ)もありましたが、私たちは窓有りで明るいトリプルルーム(60レフ)に泊まりました。エアコン、WiFi含めてすべてよく機能しました。1階にミニショップがあり、レセプション的役割を担っています。
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