世界遺産として有名なアンコールワットは、カンボジア、シェムリアップにあります。
アンコール遺跡はこのエリアに点在しており私たちはシェムリアップに3泊して周遊しました。まず一日目はアンコールワット見学です。
シェムリアップからサイクリング
アンコールワットはカンボジアのシェムリアップにありますが、街の中心からは少し離れています。またチケットには、アンコールワット以外のアンコール遺跡見学も含まれていて、それらはシェムリアップ周辺に点在しているため、すべてを徒歩で巡るのは難しいです。
そのため、アンコールワット見学は、ツアーに参加したり、トゥクトゥクをチャーターしてまわる旅行者が多いです。私たちは泊まったゲストハウスで自転車をレンタルして、遺跡見学をすることにしました。
シェムリアップの街にはたくさんの宿泊施設があり、自転車やオートバイのレンタルも難しくありません。私たちは一日2米ドルで自転車をレンタルすることができました。ママチャリですがきちんと手入れされており、乗り心地は悪くありません。
アンコール遺跡の入場券購入
自転車を確保していざアンコールワット見学…、とその前に、チケットを手配しなくてはなりません。
アンコールワットや遺跡群の入場券は、アンコールワットに行っても購入できないので注意が必要です。
アンコール遺跡群の入場券はチケットオフィスにて購入します。
チケットオフィスに入るとたくさんの窓口が並んでいます。
チケットは1日チケット、3日チケット、7日チケットがありますが、私たちは3日チケットを購入しました。7日間有効でそのうちの3日間に使用することができます。連続しない3日間でもかまいません。価格は一人62米ドルでした。
実はこの後で、7日間チケットを購入すればよかったと後悔するのですが、このときはそんなこととはつゆ知らず…。
カウンターにはカメラがあり、チケットを買うときに写真撮影されます。チケットには顔写真が掲載されます。支払いには各種クレジットカードが使えます。
チケット購入できたらいよいよアンコール遺跡見学に出発です。アンコールワットの入り口はもちろん、遺跡群のあらゆる場所でチケットチェックがあるので失くさないようにしましょう。
アンコールワットについて
アンコールワットはいわずと知れた、カンボジア第一の観光地であり、ユネスコの世界遺産(文化遺産)です。アンコール遺跡の一つであり、その遺跡群を代表する巨大な寺院です。12世紀、スールヤヴァルマン2世によりヴィシュヌ神を祀るヒンドゥー教寺院として建設されましたが、のちに16世紀後半、仏教寺院に改修され、現在も上座部仏教寺院となっています。
クメール語でアンコールは「王都」ワットは「寺院」を意味します。クメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗にも描かれています。
アンコール・ワットはスーリヤヴァルマン2世の在位中、30年を超える歳月を費やし建設されたましたが、一部は未完成のままでした。13世紀後半のジャヤーヴァルマン8世の時代になると改修が行われ、西からの参道が建設されました。
ヨーロッパの人々にアンコールワットが知られるようになったのは、1860年にフランス人のアンリ・ムーオがこの地を訪れ、紀行文が1863年に雑誌に掲載されたことが大きなきっかけでした。ただし、彼以前にアンコールワットを訪れた西洋人は他にも複数人いるため、彼が最初の紹介者というわけではありません。
本格的なアンコール・ワット研究の開始は20世紀を待たねばなりませんでした。1907年、アンコールを含むシェムリアップ州がフランス領となり、サイゴンにあったフランス極東学院がアンコール遺跡保存事務所を設置、以後1970年代にいたるまで寺院の保存修復を行いました。遺跡内における土砂や樹木の除去、寺院の移転、さらに観光用道路の建設などが行われたのです。
1953年にカンボジアが独立したのち、アンコール・ワットはナショナリズムと強く結びつくようになります。1972年になると、カンボジア内戦のため極東学院はカンボジアを離れざるを得なくなり、1975年には民主カンプチア(ポル・ポト政権)が支配するようになりました。
1979年、政権を追われたクメール・ルージュは、アンコールワットがあるこの地を本拠地としました。アンコール・ワットは寺院でありながら、要塞的な要素を兼ね備えていたためです。堀と城壁に囲まれた中央には楼閣があり、周りを見下ろすのにうってつけです。さらに、重要な文化遺産ですので、攻める側も攻撃をためらってしまうという利点もあります。しかしながら、このために寺院内の仏像損傷がさらに悪化することになりました。
アンコールワットは午後訪問がベター?
いよいよアンコールワットを鑑賞していきましょう。アンコールワットは西側に正門があり、旅行者も西から訪れることになります。そのため、午前中よりも午後のほうが写真撮影に適しているといわれますが、時期によって午後のシェムリアップは非常に暑くなります。暑さと日焼け対策を行って出かけましょう。
午前中の撮影はベストではありませんが、日の出のアンコールワットを狙って出かける旅行者もいます。ただし、アンコール遺跡は基本的に午前7時半から午後5時半までが開場時間となっています。
渡り橋
アンコールワットは東西に1,500m、南北に1,300mの境内を幅190mの堀が囲っています。西正門の堀には西大門へ向かって蛇神ナーガに縁取られた渡橋がかかっています。
写真のように七頭のナーガを見ることができますが、橋の欄干にあった蛇の胴体は堀の中に落ちてしまっていて、一部しか確認できません。
この砂岩で作られた渡橋は現在旅行者は渡れなくなっており、その南側に設置された浮き橋を渡って寺院に入りました。
橋を渡り終えたところに西大門があります。西大門に続く周壁は東西1,030m、南北840mの規模で、ラテライトで造られています。
西大門
西大門は南北に230mの長さがあり、3つの塔が備わっています。中央にある王の門には左右に7つ頭のナーガ据えられています。王の門の左右に2つの門が開いています。
西大門を抜けると、大蛇の欄干に縁取られた参道が現れます。540mの参道を通り前庭へと進みましょう。
参道と経蔵
前庭は南北にそれぞれ経蔵と聖池があります。
アンコールワットは巨大寺院ですので、経蔵の規模も大きいです。
前庭を越えると、三重の回廊に囲まれた5つの祠堂を持つ本堂へ至ります。
三重回廊へのプラットフォーム
三重回廊はテラス上に建っており、階段でプラットフォームに上がります。3つの回廊は徐々に高くなってゆき、最も高い位置に5つの塔が配置されています。
第一回廊
東西200m、南北180mに伸びる第一回廊の壁には一面レリーフがほどこされており、見どころの一つとなっています。
東西南北に異なる8つのストーリーが展開しており、インドの叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」、乳海攪拌、天国と地獄などがモチーフになっています。
ヴィシュヌ神の化身クリシュナが怪物バーナと戦う場面などが描かれている北東部及び北部の彫刻は、時代が下った16世紀半ば以降の作品と考えられています。
十字回廊
第一回廊から第二回廊に至る間には十字回廊があり、その南北には経蔵が建っています。十字回廊で囲まれた4つの中庭には、かつて雨水が湛えられており、参拝者はそこで身を清めたといいます。
第二回廊
十字回廊から階段を上がると第二回廊で、東西115m、南北100mに展開しています。第二回廊は至ってシンプルで、何体かの仏像が置かれているだけです。レリーフはなく、代わりに連子窓がはめ込まれています。
第二回廊を抜けると石畳の中庭があり、第三回廊と祠堂が登場します。
第三回廊と中央祠堂
第三回廊は一辺60mの正方形で、第二回廊より13m高い位置に配置されているため、急な階段を上って中に入ることになります。
回廊の四隅に尖塔が置かれ、最も神聖な中央祠堂を囲んでいます。高さ65mの中央祠堂にはかつてヴィシュヌ神が祀られていたとされていますが、本体は見つかっていません。四体の仏像が設置されていますが、後世になって置かれたものです。
第三回廊の壁には「デバター像」と呼ばれる女神像が彫られています。このデバター像は第二回廊にも見られますが、女官や舞姫をモデルとして作製されたともいわれています。
アンコールワットはスールヤヴァルマン2世が信仰していたヴィシュヌ神を祀るために建設されたといわれますが、その正門が「死の方角」を象徴する西向きであることから、スールヤヴァルマン2世の墓地として建てられたとする説もあります。中央祠堂の中心、深さ22mの地下にはスーリヤヴァルマン2世の墓が安置されているといわれています。
アンコールワット見学のあとはアンコールトムへ
シェムリアップ第一日目、アンコールワット訪問でした。この日、まだ少し時間があったのでアンコールワットからほど近いアンコールトムを一部観光しています。
その続きはアンコールトム見学としてまとめています。
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