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コー・ケー(Koh Ker)遺跡観光見どころとアクセス

カンボジア

コー・ケー(Koh Ker)はシェムリアップから約2時間半距離にある、アンコール時代の遺跡です。

私たちはストゥントレンからバスでシェムリアップへ向かう途中、コー・ケーの最寄りの村、Phumi Morealで下車し、観光しました。

コー・ケー遺跡について

コ・ケーはアンコール時代に首都がおかれたことがあり、当時はチョック・ガルギャーと呼ばれていました。シェムリアップ(アンコールワット)から約120km離れたジャングルの中の遺跡です。

古代都市の中心は、貯水槽の北東に展開しており、最盛期には少なくとも1万人の住民が住んでいたという記録が残っています。この寺院群、遺跡群では、このエリアで採掘されたラテライト、砂岩、レンガが建築材料として使われています。

81平方キロメートルの保護区域に180以上の聖域が発見されており、ほとんどの聖域が森の中に点在しています。そのうち約20のモニュメントが観光客に公開されています。

ジャヤヴァルマン4世とハルシャヴァルマン2世の時代、コー・ケーには一時的に首都が置かれていました(西暦928年〜944年)。ジャヤヴァルマン4世は野心的な建築計画を実施し、巨大な水槽と約40の寺院が建設されました。

その中でも最も重要な寺院群がプラサート・トムと、プラーンと呼ばれる、高さ36メートルの7層からなるピラミッドです。ピラミッドはアンコール遺跡としては他に類を見ないもので、この遺跡群を特別なものにしています。これらはクメール王家の寺院のように同心円状ではなく、直線状に配置されており、おそらく国営寺院として使用されたものと考えられています。

ジャヤヴァルマン4世の時代、コー・ケル様式の彫刻芸術は頂点に達し、多種多様な彫像が彫られました。残念ながら、数多くの彫刻は盗難されたため、この遺跡保護区で鑑賞することはできません。それらの一部は現在博物館や個人のコレクションとして残されています。いくつかの像は政府機関によって保管され、現在プノンペンの国立博物館に収蔵されていものもあります。

コー・ケー遺跡見学に行ってみた!

チケット売り場

私たちはこの日の朝、ストゥントレンを出発し、正午過ぎにコー・ケー遺跡の最寄り街であるPhumi Morealに到着しました。この街は地図上では「Phumi Moreal」と記されていますが、「Sayong」という呼び名もあるようです。

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ゲストハウスにチェックインしたあと、そこでオートバイをレンタルし、コー・ケー遺跡見学へと向かいました。

コー・ケー遺跡へ交差点

ストゥントレンからのバスを降りたのは、コー・ケー遺跡へアクセスする道路との交差点。オートバイを入手した後、その交差点を北へ折れ、遺跡群保護区へ向かいます。

借りたバイク(マニュアル)

オートバイは古いですが、HONDAのマニュアルバイクです。街からコー・ケー遺跡までは10km以上離れているので、この街に宿泊する場合、移動手段を確保する必要があります。多くの旅行者はシェムリアップからの日帰りツアーに参加するようです。

交差点を北へ曲がって少し行くとチケット売り場があります。チケットは一人15米ドル。チケットにパンチで穴を開けてもらって入場します。コー・ケーは遺跡群であり、広いエリアを移動しながら点在する遺跡を見学します。このあとも何度かチケットチェックがあるので、チケットは失くさないようにしましょう。

コー・ケー遺跡入場券

ちなみに現時点で、遺跡見学の地図やリーフレットなどの配布はありませんでした。

入場券を購入し、再びバイクでしばらく走ると早速チケットチェックがあります。それを過ぎて直進すると、左右にいくつかの遺跡が見えてきます。その先に分岐点があり、遺跡見学者は右折するよう、標識が出ているので右折しましょう。ここからは、貯水槽を反時計回りに一周するルートで見学します。分岐点までの遺跡スポットは帰りに立ち寄ることができますが、分岐点以降は基本的に引き返すことができないので、見たい遺跡は確実に訪問して行きましょう。

遺跡群への道

コー・ケー(Kaoh Ker)観光の見どころ

コー・ケー遺跡は寺院やアンコールモニュメントの複合体です。見どころはたくさんありますが、メインとなるのは駐車場周辺の寺院群とピラミッドです。

今ではほとんど乾燥してしまって草が生い茂る貯水槽(Royal Reservoir)の東側には寺院塔が点在し、南側にも見ごたえのある寺院遺跡が残っています。

ここでは私たちが見学した順に見どころを紹介します。

プラサート・アオネアン(Prasat Aop Neang)

Prasat Aop Neang

分岐点を曲がって最初に現れるのがこの寺院跡です。レンガ造りの塔が残されています。

プラサート・クナール(Prasat Khnar)

Prasat Khnar

プラサート・クナールにはかつて、高さ7m、直径4mの巨大なリンガが収容されていました。このリンガは、砂岩のいくつかのブロックを組み合わせて構築された巨大な台座 (高さ3m、7m四方の正方形) の上に置かれていたことがわかっていますが、現在では塔が倒壊してしまっています。

プラサート・クトゥム(Prasat Khtum)

Prasat Khtum

南東の間の傾斜した地形に位置し、東西の軸に沿って配置された単一の寺院聖域プラサート・クトゥムは、東に面したラテライトの土台に建てられた正方形の寺院です。それには興味深い東のドアフレームが含まれています。

プラサート・ダムレイ(Prasat Damrei)

プラサート・クトゥムの奥にあるのがプラサート・ダムレイです。「ダムレイ」は「象」を意味します。囲いがあり、寺院は高い台の上に立っています。

その四方にはそれぞれ10段ほどの階段があり、かつては8頭のライオンの石像が階段の両脇を飾っていましたが、現在は1頭だけが元の場所に残されています。壇上の四隅には、かつて美しい象の彫刻が置かれていましたが、現在は3体しか残っていません。うち1体は台座の下に置かれていました。

壇上に残されている象の像

寺院は煉瓦造りで、状態は比較的良好です。寺院で発見されたサンスクリット語の碑文には、かつてピラミッド(プラーン)の頂上にリンガが建てられていたことが言及されていたそうです。

プラサート・チュラップ(Prasat Chrap)

ラテライトで建てられた3つの塔からなる寺院です。現在、すべての塔はひどく損傷しており、内部は火災による損傷、西側門は破壊されています。この寺院の年代を示す碑文は残っておらず、どの神々に捧げられたかを特定することもできません。

プラサート・チャムレ(Prasat Chamreh)

Prasat Chamreh

赤レンガ作りの塔です。状態は比較的よく保存されており、屋根は3層までがはっきりと確認できます。植物が生い茂っており、赤レンガと緑色の植物のコントラストが美しいです。エントランスの門にはレリーフが見て取れます。

プラサート・バンテイピルチャオン(Prasat Banteay Pir Chaon)

Prasat Banteay Pir Chaon

西暦937年、ジャヤヴァルマン4世によって建てられた、重要な寺院の1つです。 2012年、主塔が危険な状態になるのを防ぐため、木製の支柱が加えられました。現在、木製の支柱は劣化しており、鉄の支柱に置き換えるこのプロジェクトが進行中です。

プラサート・クロエスリンガ(Prasat Kroes Linga)

Prasat Kroes Linga

ほとんど崩壊してしまっており、その面影は残っていません。ただ、リンガらしきものは見てとることができます。

プラサート・ベン(Prasat Beng)

Prasat Beng

激しく倒壊してしまっている寺院です。残されている柱から、寺院の大きさをイメージすることができます。入口部分の上の部分が残されており、施された彫刻を確認できます。

プラサート・クラ・チャップ(Prasat Krachap)

入口の門と五角形に配置された5つの塔跡が残されているということですが、工事中のため立ち入ることができませんでした。西暦928年にシヴァ神のリンガであるトリブヴァナデーヴァに捧げられた寺院として建てられたことが判明しています。

プラサート・スララウ(Prasat Sralau)

12世紀末から13世紀初頭、ジャヤヴァルマン7世の治世に建てられた仏教寺院で、彼が建てた100以上のモニュメントの一つです。スララウという名前は、樹木の一種に由来しています。

プラサート・リンガ4(Prasat Linga Four)

Prasat Linga Four

ここからはリンガを祀った寺院が連続して現れます(リンガロード)。いずれも似たような構造を持っており、塔内にはリンガが置かれていたと考えられていますが、損傷してしまっているものもあります。

プラサート・リンガ2 (Prasat Linga Two)

Prasat Linga Two

略奪者により、リンガが一部切り落とされています。約半分の長さが残されており、破損したヨニの場所に立っています。

プラサート・リンガ1(Prasat Linga One)

Prasat Linga One

リンガロード沿いに立リンガ祠のうち、最も状態がよいです。正方形のラテライトの建物で、台の上に立っており、1つの扉と開いた屋根を持っています。中にはヨニの上に立つ印象的なリンガがあります。ヨーニとともに、この場所の岩盤から彫り出されたものです。ヨニは高さ約1mで、祭壇のような形をしています。四面にはかつてレリーフが彫られていました。

ヨニの周りには、数人の僧侶が儀式を行うための小さなスペースがあるだけです。リンガにかけた水は、シヴァ神のシンボルに触れることで聖なるものとなり、流れ落ち、ヨーニの溝に集められます。そして、噴出し口(今も残っている)を通じて祠の外側に流れ、信者は祝福されるのです。

プラサート・スロット(Prasat Srot)

駐車場の東側にある寺院ですが、王や貴族の瞑想や祈りの場として使われた可能性がある場所として「宮殿(Palace)」とも分類されているようです。

コー・ケー寺院のエントランスパビリオン

砂岩でできており、二重聖堂から45m離れた場所にあります。十字型のエントランスパビリオンの真後ろには、2つの巨大なラテライトの塔の跡があります。

プラサート・クラホム(Prasat Krahom)

エントランスパビリオンとラテライトの塔の後方には、プラサート・クラホム(クラホムは赤の意味)と呼ばれる赤レンガの塔があります。かつては5つの頭と10本の腕を持つ「踊るシヴァ」の像が収められていました。この彫刻は高さが3.5mあったとされていますが、残っているのは手の断片だけで、現在はプノンペンの国立博物館に収蔵されています。

堀(Moat)

東の中庭には幅約47mの堀があり、その両側には蛇神ナーガが残っています。各ナーガの背後には、巨大なガルーダが立っていたことがわかっています。

プラサート・トム(Prasat Thom)

プラサート・トムの堀や囲いを含むいくつかの部分は、西暦921年以前に建設されたものと考えられています。

プラーン(Prang):7層ピラミッド

コー・ケー遺跡で印象的な風景がこの7層のピラミッドです。ピラミッド土台正方形の建物の一辺は62m、高さは36mです。ジャヤヴァルマン4世の国寺であったと考えられています。建設開始は西暦928年と見られています。

かつて、ピラミッドの最上階には、高さ4m以上、重さ数トンの巨大なリンガが置かれていました。碑文には、最も高く、最も美しいシヴァ・リンガムであったと記されています。

ピラミッドの東側に頂上へと続く階段が建設されていますが非常に状態が悪く、ここから頂上まで登ることはできません。ピラミッドの北側に最上層までの新しい階段があります。7層目の側面にはガルーダの美しいレリーフが描かれています。

白象の墓(Tomb of the White Elephant)

ピラミッドの奥には、木々に覆われた真円形の人工の丘があり、「白象の墓」と呼ばれています。「白い象」は、東南アジアでは伝説的なシンボルです。ただし、丘の頂上へ続く坂道は現在閉鎖されていて登れません。

プラサート・チェン(Prasat Chen)

ピラミッドがあるメインエリアを見学したあとは、貯水槽周りに点在する寺院を訪問しながら街へと戻って行きます。

プラサート・チェンには、3つのラテライトの塔が同じ台上に立っており、その前には、レンガ造りの図書館の跡があります。

プラサート・バク(Prasat Bak)

ラテライトで造られた小さな正方形の寺院で、一辺がわずか5mです。この寺院は、現在では非常に悪い状態にありますが、1960年までガネーシャの巨像(ガネーシャはヒンドゥー教の神で、シヴァとウマの息子)が納められていました。現在、ガネーシャの彫刻は、カンボジア以外の国で収蔵されていることが知られています。

プラサート・ネアン・クマウ(Prasat Neang Khmau)

ヒンドゥー教のシヴァ神を祀る寺院として10世紀初頭に建てられました。「Neang Khmau」はクメール語で「黒い女」の意味ですが、寺院の外壁が火災で黒く損傷していることから、その名が付けられたと考えられています。

プラサート・プラム(Prasat Pram)

遺跡公園の中で最も南に位置するスポットで、メインの道路から300mほど小道を進んだところにあります。「Pram(プラム)」とはクメール語で「5つ」という意味で、5つの塔があります。ラテライト製の1つを除き、その他4つの塔はレンガ造りで、レンガ造りの塔のうち2つは植物の根で覆われています。

レンガ製塔のうち1つは、上部に菱形の穴が開いていて、この塔がかつて火の聖域として機能していたことを示しています。クメール時代、火の信仰は非常に重要なものでした。

かつての塔は白い漆喰で覆われており、その跡が今も残っています。プラサート・プラムの2つの遺物、破損したライオン像と、4本の腕を持つヴィシュヌの立像の破片はプノンペン国立博物館に収蔵されています。

コー・ケー遺跡へのアクセス

コー・ケー遺跡までは、ストゥントランから200㎞以上、シュムリアップからは約120㎞離れています。多くの観光客はシュムリアップからの日帰りツアーとして見学するようです。

個人で訪れる場合、コー・ケー遺跡の最寄りの街はPhumi Morealになり、私たちはストゥントランからミニバスで移動しました。Phumi Morealで一泊し、ゲストハウスでレンタルしたオートバイで遺跡見学を行いました。そしてその翌日には、シェムリアップまでミニバスで移動しました。

シェムリアップからのミニバス(乗り合いタクシー)もあると思いますが、これらを利用する場合、ストゥントラン‐シュムリアップ間の道路と、コー・ケー遺跡への道路との交差点で車を降りることになります。交差点からコー・ケー遺跡までは10㎞程度離れているため、そこからの交通手段を確保する必要があります。

先ほどもいいましたが、私たちはPhumi Morealの街で一泊し、そこでオートバイをレンタルしました。オートバイはマニュアルで、言い値は一日8米ドルでしたが、半日しか使用しないことを伝えて交渉し、最終的には宿泊料金に含める形で、実質無料になりました。ちなみに、宿泊料金はエアコン付きダブルルームが一泊15米ドルでした。

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