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ヒッタイト帝国の首都遺跡、ハットゥシャ(Hattusa)とヤズルカヤ(Yazılıkaya)見学:ボアズカレ(Boğazkale)観光の見どころ

トルコ

バスとヒッチハイクでやって来たボアズカレは、人口1,200人の小さな村です。でも、この土地には紀元前16世紀から前1200年ごろまでアナトリア地方に栄えた、ヒッタイト帝国の首都遺跡があります。それが、ハットゥシャ(Hattusa)都市遺跡とヤズルカヤ(Yazılıkaya)神域です。

私たちはアンカラからボアズカレに到着したその足で、ハットゥシャとヤズルカヤを見学しました。ボアズカレの観光スポット、ハットゥシャとヤズルカヤの見どころについて紹介します。

ボアズカレ(Boğazkale)の街

ハットゥシャから見下ろすボアズカレの街

ボアズカレ(Boğazkale)は、アンカラの東、アナトリア高原のほぼ中央部に位置する静かな村です。黒海地方のチョルム県の町で、人口は1,203人(2022年)。

紀元前16〜13世紀の古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャとその聖域ヤズルカヤの遺跡があるため訪れる観光客は多く、複数の宿泊施設があります。

ボアズカレ周辺のヒッタイト帝国首都遺跡群の発掘は、20世紀初頭から本格化しました。ドイツのH・ヴィンクラーが1906〜1907年、1911〜12年にわたってこの地で発掘を行った折に多くの粘土板を採取。その粘土板に書かれていた、紀元前二千年紀(今からおよそ三千〜四千年前)後半の国際語アッカド語の記述より、この地がヒッタイト帝国の都であったことが証明されたのです。

その後、次々と古代都市遺跡の建造痕跡が発掘され、同遺跡群から出土した粘土板に描かれた楔形文字や象形文字の解読により、ヒッタイトの史実が次々と解明されています。

ボアズカレからヒッタイト帝国遺跡を観光

ボアズカレからアクセスできるヒッタイト帝国遺跡は、ハットゥシャとヤズルカヤです。ハットゥシャは比較的広いエリアに広がる都市遺跡で、ボアズカレの街を望む丘の傾斜にあります。ハットゥシャからヤズルカヤ聖域遺跡までは3kmほどですが、坂道を上ったり下ったりしますので、徒歩で移動するには体力が必要です。

私たちは、アンカラから移動してきたその足で、ヒッチハイクした車にハットゥシャの入口まで連れて行ってもらいました。ハットゥシャ見学後は、徒歩+ヒッチハイクでヤズルカヤを訪れました。

ハットゥシャ(Hattusa)の入場料と見学ルート

ハットゥシャの入口

ハットゥシャ都市遺跡の入り口は、ボアズカレから丘を登ったところにあります。入口のゲートを入るとすぐ左手に駐車場とチケット売り場があります。

チケット売り場

入場料は一人70トルコリラで、ハットゥシャとヤズルカヤの両方を訪問できます。クレジットカードは使えません。

ギフトショップ

私たちはその日の朝アンカラから移動してきており、バックパックを背負ったままでした。隣のギフトショップで荷物を預かってもらい、ハットゥシャを見学することにしました。

ハットゥシャは依然、発掘作業が進行中ですが、観光地としてよく整備されています。歩きやすい遊歩道があり、ループ状になっています。すべて歩く場合全長5kmの距離があり、日陰はほぼ皆無ですので、日照対策を行ってでかけましょう。

チケット売り場横にはトイレとギフトショップ、カフェがありますが、飲料水はむちゃくちゃ高いです(500ml入りで1本15リラ)。徒歩での見学所要時間は約3時間かかりました。坂道や階段を上がったり下りたりします。飲料水と、必要であれば軽食等を持参するのがおすすめです。

車やバイク等の移動手段がある人は、車両でまわることもできます。その場合、ループ部分は一方通行になっていますが、その開始地点には大きな矢印があるので間違えることはないと思います。

ハットゥシャ都市遺跡の見どころ

ハットゥシャ遺跡の見どころを、私たちが実際にまわった順に紹介します。

下層居住地と寺院

入口にあるライオン水盤

ハットゥシャ敷地内散策の最初の見どころが、ハ下層居住地と寺院遺跡です。もともとこの地域にはヒッタイト人の前身であるハッティ人(この地域の先住民族)が紀元前3千年紀の終わりにはすでに定住していました。紀元前2千年紀の初めにはアッシリア商人の植民地があったことも確認されています。

ここには、丘の傾斜に設立された都市の下層部に位置するヒッタイト人の居住区と、その中央にあった寺院の跡地があります。

エントランスには広い舗装された通りがあり、外の参道沿いにライオンの水盤が置かれていました。この水盤は石灰岩のブロックを彫り出したもので、細長い長方形の両端に、ライオンの頭がそれぞれ2頭装飾されていました。

下層部と寺院跡

居住地の中央には、ハットゥシャ最大の寺院があり、大きな石灰岩のブロックで作られた基礎の上に日干しレンガと木枠で神殿が建てられていました。現在、日干しレンガと木造部分は残っていません。

寺院を囲むように2階建ての倉庫が複数あり、儀式備品や供物、食料品、食料品などが保管されていたとみられています。

坂の上の家

坂の上の家跡

下層部と次韻の向かい側に見られるのが、坂の上の家屋跡です。ヒッタイトの旧市街の一部で、おそらく紀元前16世紀までに建てられた城壁 (後壁) によって保護されていました。もともとここの斜面には多くの建造物が階段状に建っていましたが、この「坂の上の家」は2階建てで、32 x 36 m の大きさがあり、公的な建物であったことを示唆しています。建物の裏側には焼けたレンガの壁の残骸が残っており(保護壁で覆われているため見学できません)、この建物が紀元前13世紀末に起こった火災で焼失したことを表しています。

遊歩道分岐点を右へ

ハットゥシャ遊歩道分岐点

ここからはループ状のルートを反時計回りに回る形で見学します。この先一方通行ですので、車両で入る場合、見学スポットを後戻りして訪れることはできません。

ライオンゲート

左側ライオン頭部は復元されたもの

ハットゥシャ遺跡最大の見どころの一つで、都市の南西に位置しています。両側に2つの塔を伴う二重のゲートで、かつては内部に木製ドアが備え付けられていました。

外側の入り口には巨大なブロック石から彫り出されたライオンが2頭確認できます。口を開いたライオン像は保護する者として、ヒッタイトやメソポタミア建築でよく見られるモチーフです。復元されたライオンの頭の上と左側には象形文字があり、正午頃が最も確認しやすいそうです。残念ながら私たちにはよく読めませんでしたが。

イェルカプ(地中の扉)

トンネル入口

ハットゥシャ遺跡の最も高い部分にあり、これを過ぎるとあとは下り坂になります。

都市要塞の南端に位置する、高さ約30m、長さ250m、底部の幅80mの人工堤防で、その上に城壁が伸びており、スフィンクスの門が置かれています。門のすぐ下には、堤防より先に造られたとみられる長さ70mの岩トンネルがあります。トンネルを通って下り、左折して堤防のふもとに沿って東側の階段まで歩くと階段があるので、そこからスフィンクス門まで上ることができます。

堤防とその奥の階段

記念碑的な役割であったと考えられるこの堤防は、ピラミッドを彷彿とさせます。高低差は35mで、西端と東端にある階段が堤防の頂上まで続いています。

スフィンクス門

スフィンクス門

スフィンクス門は、イェルカピの人工堤防の上を走る城壁の中央にあります。ライオン門や王の門とは異なり、この門は塔に囲まれていません。外側のゲートのみに一対の木製のドアがあり、門の脇には4つのスフィンクスがありました。内側の出入り口には立体的なスフィンクスが置かれ、ハットゥシャ遺跡の見どころの一つとなっています。

スフィンクスの体は街の方を向いており、側面には翼が描かれています。古代に火災でひどく損傷していたため、現物は1907年以降イスタンブールとベルリンの博物館に保管されていました。2011年11月、両方ともボアズカレ博物館に返却されています。元の場所にはあるのはレプリカです。

王の門

王の門

都市要塞の南東にあるこの門は、ハットゥシャ遺跡の最もよく保存された門です。2つの塔に挟まれた、内側と外側、二重構造になっています。その高さは約5mで、入り口には一対の木製のドアが備え付けられていました。

内側の出入り口の左側のブロックには、斧、剣、兜を持った戦士の格好をした神のレリーフがありますが、レプリカであることは明白です。 オリジナルはアンカラのアナトリア文明博物館に保管されています。

ビュユックカレ(大きな城)

ビュユックカレ宮殿

石段を上ってアクセスするビュユックカレ(「大きな城」の意)はヒッタイト王の宮殿でした。ハットゥシャ遺跡の見学ルート最終部にあり、最大の見どころの一つであり、観光のクライマックスです。

ビュユックカレはハットゥシャの旧市街の最上位に置かれ、市街と北の渓谷を望むことができます。王宮の最古の部分は青銅器時代初期に造られたものですが、現在見られるほとんどの部分は、紀元前13世紀の修復以降のものです。中庭、図書室、住居、儀式会場や謁見ホールなどが確認されています。

ハットゥシャ遺跡の見学サイトの中でひときわ広く、見ごたえのあるエリアです。私たちが訪れたときは整備作業が一部進行中でした。じっくり時間を取って散策したいところです。

ヤズルカヤ(Yazılıkaya)へのアクセス

ヤズルカヤ入口

ハットゥシャ遺跡の見学のあと、そこから3kmほど離れたヤズルカヤを見学しました。ハットゥシャを出てしばらく歩いたところで、ヤズルカヤに行くトルコ人観光客の車に乗せてもらうことができました。バックパックを背負って坂道を上っていたところだったので、非常に助かりました。

ヤズルカヤの入場料はハットゥシャチケット代に含まれています。入口を入ったところにあったギフトショップで荷物を預かってもらうことができました。

ヤズルカヤはハットゥシャに比べるとはるかに面積が小さいので、見学時間は1時間もかからないと思います。

ヤズルカヤの見どころ

ヤズルカヤ

ヤズルカヤ (「文字が書かれた岩」の意味) は、ヒッタイトの首都ハットゥシャの神域として、ハットゥシャから徒歩圏に作られました。現存するヒッタイトの岩の聖域の中で最大のものです。遅くとも紀元前16世紀にはすでに使用されていましたが、石刻の大部分は紀元前13世紀のヒッタイト王トゥドハリヤ4世、およびシュッピルリウマ2世の治世において完成されたもので、この時代にヤズルカヤは大きく修復されたとみられています。

ヤズルカヤは、主にAとBの2つの部屋で構成された複合建築物ですが、いずれの部屋も屋根はありません。部屋Aは部屋Bよりも大きく、3月の新年を祝う際に使用されたとみられています。一方、部屋BはAよりもはるかに小さいですが、石彫の保存状態がよく、紀元前13世紀に作られたレリーフ作品をはっきり確認できることに驚かされます。

部屋A(Chamber A)

部屋Aの神々の行列レリーフ

部屋Aには、神々の行列を描いた石彫レリーフがあります。左壁には男性神の行列が、右壁には王冠とスカート姿の女神が描かれています。ただし、愛と戦争の女神シャウシュカは、二人の女性とともに男性神側に登場します。私たちが撮影した写真ではよく見えませんが、各神の名前は、突き出された手の上に象形文字で表されているそうです。

その行列は、ヒッタイトの最高神夫婦である、嵐の神であるテシュブと太陽の女神ヘパトの場面へと向けられています。しかし、部屋の中で最大のレリーフはその反対側の壁にあり、ハットゥシャの偉大な王、トゥダリヤ4世を描いています。紀元前13世紀後半の彼の治世中に、この複合建築が今の形になったと考えられています。

部屋B(Chamber B)

部屋B

狭い通路を通った先に広がる部屋Bは、紀元前13世紀末スピルルマ2世によって作られた、彼の父であり、偉大な治世者であったトゥダリヤ4世の記念礼拝堂であったとみられています。

剣を肩に担いだ12人の神の列は、部屋Aの神の行列に似ていますが、はるかに保存状態がよいです。反対側に描かれているのは大きな剣の柄で、4頭のライオンが見て取れます。その右側にはトゥダリヤ4世が嵐の神テシャプの息子サルマ神に抱かれている姿が刻まれています。部屋の奥にある複数のくぼみは、供物の場所であった可能性があります。

狭い通路の両壁に刻まれた石彫は数千年を経てなお迫力があり、圧倒されました。現存するヒッタイト最大の岩神域のレリーフ、じっくりと鑑賞してみてください。

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