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ブラショヴで街歩き:観光と見どころ

ルーマニア

ブラショヴには2泊して観光しました。市内には歴史的建造物が点在し、郊外には中世の城や要塞教会が広がっているブラショヴは、とても見どころが多い観光地です。

この投稿では、ブラショヴ市内の街歩きで見つけた観光スポットに焦点をあてて紹介しています。

ブラショヴについて

ブラックタワーからの眺め

ブラショヴはブラショヴ県の県都で、ルーマニアのほぼ中央に位置しています。人口は約24万人(2021年)。

カルパティア山脈に囲まれたトランシルヴァニアにあるこの地域には、もともとブルガリア人が住んでいたといいます。その後ハンガリー人による征服定住ののち、多くのドイツ系ザクセン人が植民し主に鉱業や農業に携わりました。その後、オスマン帝国と西ヨーロッパとを結ぶ交通の要衝にあったこの街において、ドイツ系商人たちは裕福になり、政治力を持つようになります。また、中世の職人ギルドによって、街の近郊には複数の要塞が建設されました。

歴史的建造物が多く残されているブラショヴ市内

トランシルヴァニア地域がルーマニアに併合されたのは1918年のことですが、その後二度の世界大戦により、ブラショヴはますます繁栄しました。しかし、第二次世界大戦終了後、ブラショヴのドイツ系市民はソビエト連邦の圧力によって旧西ドイツへ移住していったのでした。

そんなブラショヴは歴史的にも地理的にも、ルーマニアにおいて重要な都市の一つです。市内にも郊外にも観光スポットが多いので、じっくり時間をとって楽しみたい街です。

黒教会(The Black Church)

The Black Church

14世紀から15世紀、ザクセン人によって建てられたゴシック様式建築の教会です。この地域における最大かつ最重要な宗教建築物であり、ブラックタワーからもひときわ目立つ街のランドマークです。その大きさは、間近に立つと威圧感を感じさせられるくらいです。

建設が始まった日時はわかっていませんが、14世紀に工事が始まり15世紀に完成しました。黒教会と呼ばれる理由はその暗い外観にあります。しかし壁が黒っぽくなった原因は、1689年の火災だとも、19世紀以降の工業化に伴う大気汚染だともいわれています。少なくとも「黒教会」と呼ばれるようになったのは19世紀末になってからのことです。

周辺には、複数の歴史的建造物が立ち並ぶ広場があり、散策の途中で立ち寄りたいスポットです。入場料は一人20レイで、教会入口向かい側にチケットオフィスがあります。

聖ニコラエ聖堂 (Biserica Ortodoxă Sfântul Nicolae din Șchei)

Biserica Sfântul Nicolae

建設日時は明確ではありませんが、ブラショフ市で最古の正教会とみられています。完成後に何度も再建、改装されており、ゴシック様式とバロック様式の折衷にさまざまな改造が加えられたユニークな建築物となっています。

教会へのアクセス道入口には木製の十字架があります。教会内部に入るのは無料ですが、写真撮影は禁止されています。

第一ルーマニア学校博物館(“The First Romanian School” Museum)

“The First Romanian School” Museum

聖ニコラス教会の敷地内にあります。建物自体は1495年に建てられていました。1583年、初めてルーマニア語による授業が行われた記念的学校です。それまでの学校教育は教会スラヴ語で行われていたのです。

この学校は1850年まで使用され続け、1964年に博物館として整備されました。図書館には使用されていた6千冊の書籍が保存されている他、博物館にはルーマニア初の印刷機などが所蔵されています。入場料は一人20レイ。

黒い塔(Turnul Negru)

The Black Tower

15世紀、ブラショヴ要塞の展望塔として建てられました。11mの高さがありますが、もともとあった屋根は落雷と火災によって失われてしまいました。階段から展望テラスに上がると、ブラショヴの街を一望できます。ここから見える黒教会の圧倒的な大きさに息を呑むことでしょう。

白い塔 (Turnul Alb)

The White Tower

1460年から1494年にかけて建設されました。半円形の白い塔は高さ20mあり、ブラショヴ要塞において最も高い地点でした。丘の斜面に5階建てで造られています。白い壁に落書きが多いのが、やや残念な点でした。

エカテリーナ門(Catherine’s Gate)

Catherine’s Gate

すぐ隣にスケイ門がありますが、こちらの門の方が華やかで目を引きます。

ここにはもともと古い門がありましたが、洪水で破壊されてしまったため、1559年に仕立て屋ギルドによって再建されました。ここにあった修道院の名前にちなんで門の名前がつけられたそうです。

ザクセン人による統治時代、要塞内で財産を所有できなかったルーマニア人は城壁の外に居住していました。この門は、唯一城外に住むルーマニア人が通行を許された門でした。正面の塔上部には市の紋章が描かれています。

城外で農業を営んでいたルーマニア人がこの門をくぐって城内で農作物を売る際には、場所代を払わなくてはならなかったそうです。鋭い形の屋根を持つ4隅のタワーは、町が死刑宣告する権利を持つことを表し、「剣」を象徴しているのだとか。そう考えると、威圧的に見えてくる門でした。

スケイ門(The “Șchei” Gate)

The “Șchei” Gate

エカテリーナの門のすぐ隣にありますが、エカテリーナ門とはまったく異なる雰囲気の門です。1828年建てられました。中央に大きなアーチ門が、左右には2つの小さな歩行者用アーチ門があります。

ブラショフ市議会議事堂(The Council’s House)

The Council’s House

観光客でにぎわうスファトゥルイ広場の中心的な建物です。もともとは監視塔として建てられたもので、敷地建設開始は1420年と記録されています。その後何度も増築や再建、修復が行われましたが、都市が発展するに連れて旧市庁舎として使われるようになったものです。地下には刑務所もありました。現在に見られる黒と黄色のピラミッド型屋根は20世紀初頭に作られたものです。

スファトゥルイ広場 (Piața Sfatului)

スファトゥルイ広場 (Piața Sfatului)

ブラショヴ市内の歴史的建造物が集まる地域にあり、多くの観光客で賑わっています。旧議会議事堂や黒教会の他に多くのレストランやカフェが軒を連ねていますが、中世においては公開処刑の場でもあったようです。

中央にある色気のない幾何学的な噴水は、この国に共産主義時代があったことを思い出させてくれます。

ブラショヴ市庁舎(The City Hall of Brașov)

The City Hall of Brașov

1898年に建てられた当初は財務省として設計されたものでした。3階建の建物には六角形のドーム屋根が置かれ、ファサードに時計がはめ込まれるなど、華やかな装飾が施されており、どの角度から見ても美しいです。

ブラショヴ司法宮殿(Consiliul Județean Brașov)

Consiliul Județean Brașov

1902年、ブラショヴ王立法定の場として建てられました。ゆるやかな曲線を描く建物デザインが印象的です。アールヌーボー様式、ネオバロック様式、フランス折衷主義の要素が融合されたデザインだそうです。写真撮影は午後がおすすめ。

ブラショヴでの宿泊

Tripの共有エリア

ブラショヴではゲストハウスTripに宿泊しました。英語が上手な夫婦が経営する宿泊施設です。

調理ストーブがないのが残念

ダブルベッドの主部屋にエントランス部分とバスルームがついており、ウォークインストーレッジもあったりして、まるでミニスイートのような雰囲気でした。キッチンは共有ですが、調理用ストーブ以外はよく整備されており、清潔で使いやすかったです。

オンライン予約サイト経由で予約したので1泊1室243レイでしたが、直接予約すればもう少し安くなるかもしれません。

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